井上わたるの和光ブログ
和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。
2025.08.17
私がこの間、最も多くの学びを得たと思っているのが、県議会の図書室でも紹介された
『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』
です。
『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』
です。
別学の有益性を考えるにあたって、「男女には生まれつき生物学的な差異がある」という視点で議論が進みます。
言語能力
空間認知力
聴覚能力
興味を引かれるもの
記憶の仕方
感情の処理の仕方
読書の好み
成熟のスピード
行動
学習態度
友情・教師との関係のあり方
などです。
これらを紹介するだけでも、男女それぞれにより適した環境で学びを享受することによる教育的効果がある…と感じられると思います。
そして、それぞれの性において特に優れているのは
・男子は「空間認知能力」
・女子は「聴覚」
ということです。
著者は「これらは男女の『脳』の違いによるものである」と明確に打ち出しています。
現在の男子校・女子校における勉学で、どれだけこれらを踏まえた授業内容になっているのかは私自身の研究・調査が足りません。
それでも別学で高い成績を修める生徒が多いことを考えると、長い伝統や蓄積されてきた授業ノウハウの中で、自然と、性別による特性にあった学びが行われているのだと考えております。
以上を踏まえて、私が言いたいことは
〇『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』はとても良い本である。
〇本来、別学・共学の議論はこういう視点でこそ行われるべきではないのか。
〇そして、男女の生物学的な差異に着目すれば、別学は維持されるべき
以上、3点です。
2025.08.16
県議会議事堂のエレベーターには、昨年くらいからだったからだと思いますが、今までは印刷物としてもらっていた「埼玉県議会図書館だより」をラミネートとして貼り出しています。
こちらの写真は「令和7年6月号」の写真です。
その中に気になる本が…
『教育にひそむジェンダー(著:中野円佳)』です。
私は県立高校の共学化問題を考えるにあたり、可能な限り資料や本も読むようにしています。この本もその一つでした。
…ただ読んでいくと、例えば「女の子はお人形遊びを選ばされている。ピンクを選ばされている・・・」といった人生全般を通したジェンダーの話で、共学・別学の話はほんの一部でした。
そんな訳で、こちらの著書では、共学化議論にあたっては、あまり新たな発見・視点はなかったのですが、それと異なり、非常に参考になった著書がありました。
それが、『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』です。
詳しくはこのあと、お知らせします。
2025.08.14
そして最後の【意見交換会での発言その❸】についてです。
<新聞報道でどう報じられたか>
「男女一緒に過ごすほうが男女の区別を意識せずに、自分の個性や能力に合った人生を歩める」
<県教委の発言の真意>
県教委としては
「自分の個性や能力に合った人生を歩みたいと思うならば、男女一緒の環境で過ごすほうが、男女の垣根を越えて協力し合うことになり、その目的(=自分の個性や能力に合った人生を歩む)実現に繋がるではないか?」
というニュアンスの発言だった
というニュアンスの発言だった
<井上の感想>
・報道では「男女一緒に過ごす」という『行動』が「自分の個性や能力に合った人生を歩む」という『結果』に繋がると読める。
・一方、県教委の真意は「自分の個性や能力に合った人生を歩むという『目的』を果たしたくば「男女一緒に過ごす」という『行動』をせよ、である
…結論から言うと、私は「報道」にも「県教委の真意」にも、どっちにも共感できないんですよね。
「男女一緒のほうが自分の能力に合った人生を歩める」と決まっているワケはないし、逆に県教委の真意のほうは「良い人生を歩みたければ共学に行け」みたいにも聞こえます。。。
確かに、男女ともにいる環境に居たほうが個性を伸ばせる人もいるでしょう。
一方、別学出身者には、多くの各界で活躍された方が居ます。
その方々はむしろ、
「異性が居ない別学という環境での3年間があったからこそ、自分の個性や能力が伸ばせた方なのではないか」
と思っています。
だからこそ、別学を求める生徒がいて、県として定員と入学希望者のバランスが取れている間は、両方(共学と別学)があることを県の強みとすべきです。
最後に。
私が先日行なったヒアリングの場において、県教委は意見交換会のスタンスとして、
「あくまでも県教委の考えを、質問に答える形で述べているので、考えを参加者に押し付けるのではなく、県教委の立場を述べているに過ぎない」
と言っていました。
その点は評価できると思います。
その上で、意見交換会に参加する予定の皆さまへ。
残り2回の意見交換会で、県が根本的に共学化のスタンスを変えることはまずはありません。
論破しようと思っても、ここまで紹介した❶~❸みたいに、納得のいかない回答が出てくるだけだと思います。
それならば、参加者で別学存続を願う方は「別学を受験した理由、入ってよかった点」などをどんどん伝えていってください。
結果として、県教委がうまく説明しようとすればするほど「男女共同参画の視点で共学化を推進する」ことのロジックがいかに強引か、自ら示すことになりますから。
2025.08.14
続いて、【発言その②】です。
<発言の真意>
「県教委としては一人一人の個性によって学習内容や行事内容等を分ける必要は感じている。それが出来れば男女で分けて教育することに積極的な意味を持ち合わせてない」
<井上の感想>
・究極の教育の理想論として「個別最適化」を掲げることは否定しない。
・しかし新聞社によって(新聞社の主張に合わよう)切り抜かれた部分もあろうかと思うが、『別学を維持する積極的な意味を持ち合わせていない』と読み取れてしまうこの発言は、やはり不適切。
なぜなら
① 今も議論は続いている
② 昨年は県教委が「別学にもニーズがあると分かった」と述べている
③ 何よりも、今、まさに別学に通う生徒がいる
これらを考えれば「男女を分ける積極的な意味を持ち合わせていない」という言い回しは出ないはずです


特に県教委は以前「シェルター(=異性が苦手な生徒でも通いやすい環境)の必要性は理解している」と発言しています。
(先日のヒアリングでも「過去の発言を変節していない」と言っています。)
私からは「これらの視点を大事にして今後の意見交換会を進めるよう要請しました。
2025.08.14
先日来行われている「学生と県教委の意見交換会」における県教委の象徴的な3つの発言について、以下の視点で見ていきたいと思います。
<新聞報道でどう報じられたか>
<意見交換会での発言の真意>
<それを踏まえての井上の感想>(=県教委には私の個人的な意見として、話しました。)
を順次述べてまいります。
今日取り上げるのは、
『(男女が)同じ場所で、同じ人から、同じ時間に学ぶことが重要だ』
という発言についてです。
これは、整理するとこうなります。
<新聞報道での報じられた方>
「(男女が)同じ場所で、同じ人から、同じ時間に学ぶことが重要」
<意見交換会での発言の真意>
「(例えば男子は理系、女子は理系のように)男女で違う内容(カリキュラム)を教えるよりも男女が同じ内容を学ぶことが重要」
<井上の感想>(←県教委に指摘した内容)
・「真意」の内容ならば多少理解できるが、報道に載った発言ではそうは受け取れない。完全に誤解を生む表現である。
・それに「男女が同じ場所・教師・時間で学ぶ」のが理想なら、県下の高校生16万人全員を一堂に集めるって話になる。無理がある。
・それを言ったら共学で今ある「女子だけのクラス」も理想と違うことにもなる。あまりに現実が見えていない。参加した生徒が納得できる回答ではない。
・それにこのロジックならば、体育(プールも含む)や行事も、男女全く場所で、同じ内容を実施することが理想、となってしまう。
・それは男女平等や共同参画ではなく、むしろ男子にとっても女子にとっても配慮が不足した状態である。
…以上が『男女が、同じ内容、時間、場所』発言に対する「県教委の真意」とそれに対する「私の意見」です。
残りの2つの『発言』についても、のちほど、説明します。
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