井上わたるの和光ブログ

和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。

2010.01.17
こんにちは。

今日で阪神大震災から15年です。

私は、当時中学3年生。
兵庫県西宮市で震災を経験しました。


それ以降、続けていることのひとつに

●地震のあった1月17日の午前5時46分に起きておく。

というのがあります。
これは、あの瞬間を忘れないようにするためです。


それと、議員になってからは、

●1月17日のブログに、当時のことを綴る

ということを続けています。


昨年の「この日」のブログはこちら。
http://inouewataru.blog.shinobi.jp/Entry/461/


さて、その「昨年の1月17日」のブログの最後に、私は、

「次回は・・・(1年後ですが)「簡易給食」のお話しをしようかと
思っております。」

と、書いていました。


なので、今日は、この「簡易給食」の話をしようと思います。


震災後、私の通う学校には、学校校舎などには、
大きな影響はなかったものの、(※ただ、グランドには地割れが多数出来た)
水やガスのライフラインは、決して万全ではありませんでした。

そのため・・・、給食が作れないのです。

そこで、登場したのが「簡易給食」です。


はっきりとは覚えていませんが、

・パン
・牛乳
・さつまいも
・干しプルーン

が定番のメニューでした。

「牛乳」も、もともとはビンで出されたものを飲んでいましたが、
ビンを洗うことが出来ないので、紙パックでした。

干しプルーンは、強烈に覚えています。しょっちゅう出ました。

液状の 『ミキプルーン』のようなものしか、当時は知りませんでしたから、
「プルーンって果実はこんな感じなんだ・・・」と驚きました。


ただ、当時、私達は連日連日干しプルーンが出てくるので、
クラスメイトの大半が、だんだん飽きていたように思います・・・。


・・・今思えば、
食物繊維やビタミンA、カリウム、そして鉄分などの栄養素が
豊富に含まれる
から、メニューになっていたんですね。


あと、感覚として覚えているのは、
給食を食べても体が温まらない、ってことです。

温かい汁物系のメニューは出て来ないので、
給食を食べると、余計に体が冷えました。
(※1月~2月の寒い時期だったので、特に。)


改めて、普段食べてた給食のありがたみを感じました。


今から、災害時に備え、
この簡易給食についても提供できる環境を整備しておく・・・ということは
難しいと思います。

ただ、教育委員会においても、万一災害があった時・・・
特に、校舎の倒壊のような、大被害が無い場合でも、様々な影響は出てきます。

そういう場合に何が求められるのか?― を知っておくことは
研究して、研究しすぎ・・・ということはありません。



これからも、和光市においても、災害時に
少しでも安心・安全を得られるように、議員活動の中で
提言していきたいと思います。



さて、最後に来年についてですが、
「被災時に、特に役に立ったモノは?」というテーマで
お届けしたいと思います。(あくまで予定。)





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