井上わたるの和光ブログ
和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。
2026.09.08
~たった1通の「苦情」は果たして“教育を受ける当事者”からだったのか。市民団体の『通信』の矛盾の真相究明に臨む~
共学化議論の発端となった「男女共同参画苦情処理委員」に寄せられた相談はプライバシーが守られています。そのため、どんな方が相談したかは本来誰にも分かりません。
でも【共学を推進する立場の市民団体=共学ネット埼玉】は団体の勉強会で「学校に入る女性個人、教育を受ける当事者である」と発言しました。
その際の発言は、団体の『通信』としてまとめられていて、その旨がしっかりと記されています。
(写真参照)
これは、おかしな話なんです。
本来、苦情申出者の素性は分からないはずなのですから。
そこから考えられる可能性はいくつかあります。
可能性❶ 市民団体が苦情申立人と元々繋がっていた。
可能性❷ 苦情申立人が、苦情申請後に市民団体を頼って連絡をした。
もし❶の場合、諸井県議が指摘(※)していたように、いわゆる「マッチポンプ」状態で制度の悪用だと思います。
そこでこの不可解な点を解明するべく、令和7年12月定例会の一般質問に取り上げました。
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Q、井上
今回の苦情を読めば、『進学先を考える中学生』とも推察されるが、書面の写しを見ると、内容も字体も子供や若者によるものとは思えない。
県民生活部は苦情の当事者性をどう考えているか?
A、県民生活部長
「苦情がある場合」に申し出ることができるとされており、当事者であることは要件ではございません。
なお、本件の申出人がどのような人物かは埼玉県情報公開条例第10条第1項の不開示情報である個人情報に当たるため、申し上げられない。」
=====
さて、このやりとりで改めて分かるように
「市民団体が“当事者の素性”を知っていることはおかしい」
ワケです。
この質問を通して、その矛盾を指摘しました。
・・・すると、この質問後、県教育局にこの市民団体から連絡が入った、という旨の話を耳にしました。
どうやら「通信に書いたことは誤りだった」という趣旨を県教委に伝えた…ということです。
この話が真実かどうか、今度は同じ会派の八子議員が追及してくれることになりました。
それが令和8年2月定例会の一般質問「共学化を求める市民団体との接触について」です。
======
Q、八子議員
当該団体からこの記載に関して県教育委員会に何らかの連絡があったのかどうか、教育長に伺う。
A、教育長
昨年12月下旬に市民団体から事務局職員に連絡があった。
その中で「苦情申出人の情報は非公開であり憶測であった。」との話があった。
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この団体がただ自分たちの主張を述べるだけならここまで問題視しなかったかもしれません。
しかしこの団体は唯一教育長と3回も会うことが出来ています。
埼玉県内の有志の皆さんが求めてもなかなか実現しないのに…です。
そして、その内、1回は最大会派の代表が付き添ってもいます。
この議論は「教育委員会も苦情申立人の素性を知らない」…という状況下でここまで議論が進んでいます。
そんな中で、この団体が憶測で「当事者による申出」と喧伝していたことは非常に責任が重いと思っています。
救いだったのは、誤りに気づき自ら県教委に連絡を入れたことです。
その後、団体がどのような形でこの誤認を修正・周知して回ったのかは分かりません。
ただ、共学化の推進を求める団体が主張していた「当事者性」すら不明瞭となったことで、私は改めてこの議論の方向転換が必要だと考えています!
本当に重視すべきは、子ども・若者、当事者の声です!
この2つの定例会を超えて半年掛かりの真相究明は、私と八子議員の執念でもあります。
何なら私は2024年の秋に開かれた決算特別委員会でもこの点を取り上げたので2年越しの矛盾追及です。
共学化議論だけでなく、これを機に苦情処理委員の在り方も再考すべきです!
2026.08.14
私はこれまでも県議会の一般質問などを通して「別学は維持すべき!」その上で、県立男女別学校の共学化を巡る問題については「埼玉県こども・若者基本条例の趣旨を遵守すべき!」と主張しています。
さて、この夏は和光市で「こどもまんなかアクション リレーシンポジウム」が開催されたこともあり、『こども基本法』や、そこに謳われている“こどもの権利”について学ぶ機会が多くありました。
改めてそのリーフレットの内容を見ると、
○こどもの権利について考えるときに大切な4つの考え方
という項目があり、
❶差別のないこと
❷命を守られ成長できること
❸こどもにとって最も良いこと
❹意見を表明し参加できること
とされています。
その上で、特出しで「大事なのは“こどもの意見を聴くこと”」と記されています。
無所属県民会議からは私や八子議員が、前任 及び 新任の県教育長に対して、「教育委員との意見交換を希望する声が出ている」旨を取り上げています。
ただ、いずれも「(教育長や教育委員は直に意見を伺わないけど)教育局の職員が対応するので、聴いたことになる」というものです。
でも、職員はあくまで事務局。
教育に関わる判断・決断が出来るのは、教育長や教育委員です。
教育長や教育委員も交代しています。
せめて、新任の方については、是非、直に会ってこども・若者の意見を聴いてほしいものです。
さて、その上で、リーフレットに書いてある内容の中で秀逸だったのは、応援キャラクター〔ジーン〕と〔ケーン〕の会話形式で語られる以下の部分です。
〔ジーン〕
「意見を言えるんだ。 じゃあ、大人は、全部こどもが言ったとおりにしてくれるのかな。」
〔ケーン〕
「そういうことじやなくて一。大人は、こどもの言うことを よーく聴いて、何が 「こどもにとって最もよい」のか よーく考えてくれるんだって。」
〔ジーン〕
「大人とちがう意見のとき、 言ってもいいのかな、と思ったことあったけど、「自分には意見を言って、 それを考えてもらえる権利がある」 って知ったら、大人に話してみようかなって思えるね! 」
〔ケーン〕
「意見や気持ちを大人に伝えて、 いっしよに考えられたらいいよね。」
という部分です。
国も呼び掛けを行う「こどもの権利」の基本が、この共学化を巡る議論においては十分になされていません。
これまで、私は、どちらかと言えば県条例(=こども・若者条例)の基本理念や文言にこだわって議論の材料に用いてきましたが、こうした国の示す考え方を踏まえて、県教委の行動を正す議論も考えていきたいと再認識しました。
ジーンとケーンの会話に出てくる “意見を言って、 それを考えてもらえる権利がある” という視点を強く求めてまいります。
2025.08.17
私がこの間、最も多くの学びを得たと思っているのが、県議会の図書室でも紹介された
『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』
です。
『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』
です。
別学の有益性を考えるにあたって、「男女には生まれつき生物学的な差異がある」という視点で議論が進みます。
言語能力
空間認知力
聴覚能力
興味を引かれるもの
記憶の仕方
感情の処理の仕方
読書の好み
成熟のスピード
行動
学習態度
友情・教師との関係のあり方
などです。
これらを紹介するだけでも、男女それぞれにより適した環境で学びを享受することによる教育的効果がある…と感じられると思います。
そして、それぞれの性において特に優れているのは
・男子は「空間認知能力」
・女子は「聴覚」
ということです。
著者は「これらは男女の『脳』の違いによるものである」と明確に打ち出しています。
現在の男子校・女子校における勉学で、どれだけこれらを踏まえた授業内容になっているのかは私自身の研究・調査が足りません。
それでも別学で高い成績を修める生徒が多いことを考えると、長い伝統や蓄積されてきた授業ノウハウの中で、自然と、性別による特性にあった学びが行われているのだと考えております。
以上を踏まえて、私が言いたいことは
〇『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』はとても良い本である。
〇本来、別学・共学の議論はこういう視点でこそ行われるべきではないのか。
〇そして、男女の生物学的な差異に着目すれば、別学は維持されるべき
以上、3点です。
2025.08.16
県議会議事堂のエレベーターには、昨年くらいからだったからだと思いますが、今までは印刷物としてもらっていた「埼玉県議会図書館だより」をラミネートとして貼り出しています。
こちらの写真は「令和7年6月号」の写真です。
その中に気になる本が…
『教育にひそむジェンダー(著:中野円佳)』です。
私は県立高校の共学化問題を考えるにあたり、可能な限り資料や本も読むようにしています。この本もその一つでした。
…ただ読んでいくと、例えば「女の子はお人形遊びを選ばされている。ピンクを選ばされている・・・」といった人生全般を通したジェンダーの話で、共学・別学の話はほんの一部でした。
そんな訳で、こちらの著書では、共学化議論にあたっては、あまり新たな発見・視点はなかったのですが、それと異なり、非常に参考になった著書がありました。
それが、『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか(著:中井俊巳)』です。
詳しくはこのあと、お知らせします。
2025.08.14
そして最後の【意見交換会での発言その❸】についてです。
<新聞報道でどう報じられたか>
「男女一緒に過ごすほうが男女の区別を意識せずに、自分の個性や能力に合った人生を歩める」
<県教委の発言の真意>
県教委としては
「自分の個性や能力に合った人生を歩みたいと思うならば、男女一緒の環境で過ごすほうが、男女の垣根を越えて協力し合うことになり、その目的(=自分の個性や能力に合った人生を歩む)実現に繋がるではないか?」
というニュアンスの発言だった
というニュアンスの発言だった
<井上の感想>
・報道では「男女一緒に過ごす」という『行動』が「自分の個性や能力に合った人生を歩む」という『結果』に繋がると読める。
・一方、県教委の真意は「自分の個性や能力に合った人生を歩むという『目的』を果たしたくば「男女一緒に過ごす」という『行動』をせよ、である
…結論から言うと、私は「報道」にも「県教委の真意」にも、どっちにも共感できないんですよね。
「男女一緒のほうが自分の能力に合った人生を歩める」と決まっているワケはないし、逆に県教委の真意のほうは「良い人生を歩みたければ共学に行け」みたいにも聞こえます。。。
確かに、男女ともにいる環境に居たほうが個性を伸ばせる人もいるでしょう。
一方、別学出身者には、多くの各界で活躍された方が居ます。
その方々はむしろ、
「異性が居ない別学という環境での3年間があったからこそ、自分の個性や能力が伸ばせた方なのではないか」
と思っています。
だからこそ、別学を求める生徒がいて、県として定員と入学希望者のバランスが取れている間は、両方(共学と別学)があることを県の強みとすべきです。
最後に。
私が先日行なったヒアリングの場において、県教委は意見交換会のスタンスとして、
「あくまでも県教委の考えを、質問に答える形で述べているので、考えを参加者に押し付けるのではなく、県教委の立場を述べているに過ぎない」
と言っていました。
その点は評価できると思います。
その上で、意見交換会に参加する予定の皆さまへ。
残り2回の意見交換会で、県が根本的に共学化のスタンスを変えることはまずはありません。
論破しようと思っても、ここまで紹介した❶~❸みたいに、納得のいかない回答が出てくるだけだと思います。
それならば、参加者で別学存続を願う方は「別学を受験した理由、入ってよかった点」などをどんどん伝えていってください。
結果として、県教委がうまく説明しようとすればするほど「男女共同参画の視点で共学化を推進する」ことのロジックがいかに強引か、自ら示すことになりますから。
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