井上わたるの和光ブログ
和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。
1月17日 午前5時46分―
毎年、我が家では必ずその日その時間には起きて
家族でその時間を迎えるようにしています。
阪神淡路大震災から14年。
あの朝のことは、私は今も鮮明に思い出します。
「配るホームページ 第3号」でも書きましたが、
( http://inouewataru.com/homepage.html#no3 )
あの揺れの中だと、避難するどころか
立ち上がって逃げることすら出来ませんでした。(当時、中学生。)
そんな私を心配して、
両親が膝をつきながら、私の部屋まで来てくれた姿―
本当に家族の大切さを感じています。
当時の話をひとつしたいと思います。
私は西宮市に住んでいましたが、より被害の大きかった
隣の芦屋市に友人がいました。
当時の情報では、その芦屋市は
水の供給も行われていないという話でした。
(今、振り返って考えると、情報が錯綜していました。)
そこで、私が西宮の給水車からもらった水を自転車で届けることにしました。
もちろん、電話も通じないし、友人宅にいるのかもわからなかったのですが・・・
阪神高速道路が倒れている映像は皆さんご存じだと思いますが
芦屋に行く途中に、その光景を目の当たりにしました。
言葉に出来ない・・・とともに
なにか・・・「このままそばにいるのが怖い、そばにいてはいけない」
と、いう思いがしました。
芦屋に到着すると、
友人のいた地域は比較的被害も少なく、無事でした。
ホッとしたのを覚えています。
帰り道。
自転車の後輪がパンクしました。
道が亀裂・ひび割れでガタガタになっていたこと、長距離走ったことが原因でしょう。
3時間以上掛けて歩いて帰りました。
自転車のホイールがガタガタになるのを防ぐため、
瓦礫の中から見つけた「ミニ四駆」(モーターで走る車の玩具)を
自転車のタイヤの下に敷いて、転がして帰ってきました。
今考えると、よく思い付いたアイディアだったな・・・と
思いますが、実際、自転車屋さんなんか営業してなかったですからね。。。
先日、和光市でも「防災訓練」が行われました。
ある意味、完璧な(?) 準備のもと行われたわけですが、
地震や災害があったときには、そんなに物・人員とも揃っているわけがありません。
さっきのミニ四駆の代用の話ではありませんが、備えを充実させるとともに
いかに「そこにあるモノ」、「そこにいる人」で対応できるか、が
災害時のポイントであるように思います。
今後も、毎年この日には、震災に関する話題を取り上げたいと思います。
次回は・・・(1年後ですが)、「簡易給食」のお話しをしようかと
思っております。