井上わたるの和光ブログ

和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。

2008.01.18
こんばんは。

昨日お話ししたように、今日・明日の2日間、
私の阪神淡路大震災の経験を少しお話ししたいと思います。

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13年前―1995年、
当時、私は中学3年生、高校受験を控えた時期でした。

兵庫県の公立高校は、「総合選抜方式」といって
住んでいる地域以外の高校を受験することはできない仕組みになっていました。

なので、「高校受験」・・・といっても、ようやく1月になって
慌てて本腰を入れ始めたような状況でした。

地震の前日も勉強を少しやって、
「よし、明日から気合を入れて勉強するぞ」と、
翌日にあのような地震があるとは思いもせず、布団に入りました。


1月17日 午前5時46分・・・

ズズズズ・・・・

最初は、寝ぼけているのか何なのかわからず
ただ、布団で横になったまま、違和感を感じました。

その直後、ゴゴゴゴー!!!・・・

「地震だ!!」と感じましたが、動くのは、目と思考だけ。
あまりの振動に、立ち上がることすら出来ません。

(※よく地震の際には、「物の倒れない場所に移動しましょう」と言いますが、
 多分震度6を超えると、そう簡単には起き上がることもできないと思います。)


私の部屋にはピアノがありました。
そのピアノが、大きく揺れて倒れそうになりながら、徐々に移動して近づいてきます・・・

「立ち上がらなきゃダメだ!」― 

頭でわかっていても
揺れで体がいうことを聞きません。。。

その時―
両親が、床を伝いながら「大丈夫か??」と来てくれたのでした。

安心したのと、ようやく揺れが落ち着いてきたのもあって、
ようやく立ち上がることができました。


その後、家族でリビングに集まりました。
確か私の記憶では、地震直後にはテレビは点きました。

時々刻々と新たな映像が映し出されるのを見て、
あの瞬間に何が起きたのか、ようやく把握することができました。


その後、家族と話し合った結果、
私がとりあえず中学校に向かうことになりました。

「多分休みだろうな。。。」とわかっていながら、
制服に着替え、家を出ました。


すると、外の光景も昨日までとは変わっていました。
地面が沈んで いたのです


私の住んでいたのは、埋立地に建設された団地で
15階建ての建物30棟以上で構成されていました。

建物の部分は、土台がしっかりしていたから
そのままの位置を保っています。

・・・しかし、それ以外の公園や駐車場の部分は、本来あった場所から
約70cm~1m近く沈み込んでいたのです。


そして、中学校に辿り着くと、同じように様子を確かめに来た
生徒が校門に集まっていました。

でも、グランドは大きくひび割れ、授業どころでないのは一目瞭然でした。。。。


家に帰って状況を伝えると、そこから先は少し冷静になり

・トイレをどうするか?
・飲料水をどうするか? etc


この先、どうすればいいかという具体的なことを考えなければなりません。


・・・・・・・・・・さて、この続きはまた明日お話ししたいと思います。  つづく









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