井上わたるの和光ブログ
和光市選出の埼玉県議会議員。埼玉県政や和光市のことをわかりやすく伝えます。
2011.07.27
こんにちは。
引き続き、大船渡市でのボランティアの様子を
お伝えします。
初日は移動日でしたので
本格的な作業は2日目からです。
朝6時半に食事をとって
7時半に宿を出発しました。
宿は隣町にあたる「住田町」の旅館です。
ちなみに、早く目が覚めてしまって
5時くらいからまちを散歩してきました。
とっても静かな街並みでした。
8時半に「大船渡市災害ボランティアセンター」に到着しました。
このボランティアセンター(=VC)は
大船渡市の社会福祉協議会が行っており、
今回のバスツアーを主催した和光市社協にとっては
こうしたVCの様子を見ることも大事な経験になっています。
登録を済ますと、
このようなシールが配られます。
これを胸や腕に貼って作業します。
終了後は、VCが回収し
受付時の名簿と比較して、
作業中にいなくなった人はいないかを把握している、とのことでした。
私たちが行った作業、
それは「側溝の泥掻き」です。
津波に、側溝=道路にある雨水用の溝に
大量の泥やヘドロ、瓦礫が埋まっています。
それを掻き出し、土のう袋に詰める・・・
という作業です。
蓋も流されてしまったところもあれば、
蓋はきちんと残っているが、
その下は全て泥・・・というところもあります。
1.蓋を外す
2.スコップで泥を掻き出す
3.土のう袋につめる
(4.もしも、写真などが出てきたら分けておく)
5.蓋を戻す
というのが一連の作業です。
最初は慣れませんでしたが
徐々に役割分担なども出来てきて
作業は進みました。
熱中症対策で
20分の作業に10分間の休憩を入れる・・・という
形で進めていきました。
午前、午後とこの作業を行い
翌日へと持ち越しました。
作業終了後、
許可を得て、街並みを見て回りました。
上の写真、中心に小さくボランティアの仲間が
映っています。
それだけ広大な範囲にわたって
全てをなぎ倒す津波の力を
改めて痛感します。
高台に逃げる・・・と言いますが
この写真の一帯はまさに防波堤の近くです。
高台までの距離は最も遠い地域です。
果たしてそれが可能だったのか・・・
現地でしか感じることのできない
なんとも言い難い感覚でした。
この写真はある建物の1階部分です。
柱を残し、中のものを根こそぎ持って行っています。
こういう建物が手つかずのまま
無数に残っている・・・というのが現地の状況です。
この日の夜、ボランティアの皆さんと
意見交換&感想発表会を行いました。
その日、私が言ったことは
「この広大な一帯で、ボランティアをしていたのが
私たちだけだった。
(※もちろん、別の地域や別の作業をやっている
ボランティアはいるものの、私たちが行った
最も被害の大きな一帯では重機を使った業者が
数か所にいるだけで他には誰もいなかった。)
もっとボランティアが必要だ。」
そして、
「マスコミは既にいない。
(ボランティアが少ないという報道は聞いていたが
私の事前のイメージ以上に不足している。)
こうした状況も今はほとんど伝えられていない。」
という率直な感想です。
皆が感想を述べて、
翌日へ備え、10時過ぎには就寝する、
そんな1日でした。
「3日目」へ続きます。
引き続き、大船渡市でのボランティアの様子を
お伝えします。
初日は移動日でしたので
本格的な作業は2日目からです。
朝6時半に食事をとって
7時半に宿を出発しました。
宿は隣町にあたる「住田町」の旅館です。
ちなみに、早く目が覚めてしまって
5時くらいからまちを散歩してきました。
とっても静かな街並みでした。
8時半に「大船渡市災害ボランティアセンター」に到着しました。
このボランティアセンター(=VC)は
大船渡市の社会福祉協議会が行っており、
今回のバスツアーを主催した和光市社協にとっては
こうしたVCの様子を見ることも大事な経験になっています。
登録を済ますと、
このようなシールが配られます。
これを胸や腕に貼って作業します。
終了後は、VCが回収し
受付時の名簿と比較して、
作業中にいなくなった人はいないかを把握している、とのことでした。
私たちが行った作業、
それは「側溝の泥掻き」です。
津波に、側溝=道路にある雨水用の溝に
大量の泥やヘドロ、瓦礫が埋まっています。
それを掻き出し、土のう袋に詰める・・・
という作業です。
蓋も流されてしまったところもあれば、
蓋はきちんと残っているが、
その下は全て泥・・・というところもあります。
1.蓋を外す
2.スコップで泥を掻き出す
3.土のう袋につめる
(4.もしも、写真などが出てきたら分けておく)
5.蓋を戻す
というのが一連の作業です。
最初は慣れませんでしたが
徐々に役割分担なども出来てきて
作業は進みました。
熱中症対策で
20分の作業に10分間の休憩を入れる・・・という
形で進めていきました。
午前、午後とこの作業を行い
翌日へと持ち越しました。
作業終了後、
許可を得て、街並みを見て回りました。
上の写真、中心に小さくボランティアの仲間が
映っています。
それだけ広大な範囲にわたって
全てをなぎ倒す津波の力を
改めて痛感します。
高台に逃げる・・・と言いますが
この写真の一帯はまさに防波堤の近くです。
高台までの距離は最も遠い地域です。
果たしてそれが可能だったのか・・・
現地でしか感じることのできない
なんとも言い難い感覚でした。
この写真はある建物の1階部分です。
柱を残し、中のものを根こそぎ持って行っています。
こういう建物が手つかずのまま
無数に残っている・・・というのが現地の状況です。
この日の夜、ボランティアの皆さんと
意見交換&感想発表会を行いました。
その日、私が言ったことは
「この広大な一帯で、ボランティアをしていたのが
私たちだけだった。
(※もちろん、別の地域や別の作業をやっている
ボランティアはいるものの、私たちが行った
最も被害の大きな一帯では重機を使った業者が
数か所にいるだけで他には誰もいなかった。)
もっとボランティアが必要だ。」
そして、
「マスコミは既にいない。
(ボランティアが少ないという報道は聞いていたが
私の事前のイメージ以上に不足している。)
こうした状況も今はほとんど伝えられていない。」
という率直な感想です。
皆が感想を述べて、
翌日へ備え、10時過ぎには就寝する、
そんな1日でした。
「3日目」へ続きます。
2011.07.25
こんにちは。
岩手県大船渡市への
災害ボランティア へ行ってきました。
2泊3日の日程で
金曜日の朝から出発し、
昨晩10時頃に和光市に戻ってきました。
今回のボランティアについては、
何回かに分けてブログで報告したいと思います。
今日は全体の概要について。
今回の被災地ボランティアは、
和光市社会福祉協議会が主催したバスパックで
和光市在住&在勤の方、また市外の方も含めて
約30名で向かいました。
社協の職員さんに
お見送りをしていただきました。
(=添乗している職員さんもいます。)
初日は移動日。
途中、仙台の自衛隊 仙台補給処に寄りました。
この間の自衛隊の、特に後方支援の部隊が
どのような役割を果たしてきたのかを聞いてきました。
一番の印象に残ったのは
「事前の備え」に関する話です。
人が数日、または数週間経った上で
発見された時、遺体がどのようになっているのか・・・
写真などを見せて
隊員にとっても初めてとなる状況への心の準備を
行ったという話でした。
非常に過酷な環境下の中で
救助等にあたってくれた自衛隊員の方に
心からの敬意を抱いております。
その後はずっ~と移動です。
宿泊所についてのは、夜6時。
自衛隊には1時間半くらい滞在したので
8時間30分くらいはバスで移動していたことになるんでしょうか(^_^;)
移動中や夜は、お互いの自己紹介や
意見交換等をしながら、交流もしました。
今回の参加者の中には
地震発生後、
「何度も各地の災害ボランティアに行ったことがある」
という人もいました。(市外の方です。)
ただ、その時は
車中泊⇒現地ボランティア⇒車中泊
という強硬スケジュールだったために
互いの自己紹介も交流もないままだったという話を聞きました。
翌日以降、改めて痛感するのですが
こうした移動や交流の時間の中で
チームワークが出来ていったので、
こうした時間も貴重な時間だったと思います。
さて。
実際の作業については、
明日以降のブログでお話しします。
今日は大船渡市の写真を
何枚か掲載いたします。
実際に目にすると
報道の写真で見るのとは違う、
大きな衝撃を受けました。
岩手県大船渡市への
災害ボランティア へ行ってきました。
2泊3日の日程で
金曜日の朝から出発し、
昨晩10時頃に和光市に戻ってきました。
今回のボランティアについては、
何回かに分けてブログで報告したいと思います。
今日は全体の概要について。
今回の被災地ボランティアは、
和光市社会福祉協議会が主催したバスパックで
和光市在住&在勤の方、また市外の方も含めて
約30名で向かいました。
社協の職員さんに
お見送りをしていただきました。
(=添乗している職員さんもいます。)
初日は移動日。
途中、仙台の自衛隊 仙台補給処に寄りました。
この間の自衛隊の、特に後方支援の部隊が
どのような役割を果たしてきたのかを聞いてきました。
一番の印象に残ったのは
「事前の備え」に関する話です。
人が数日、または数週間経った上で
発見された時、遺体がどのようになっているのか・・・
写真などを見せて
隊員にとっても初めてとなる状況への心の準備を
行ったという話でした。
非常に過酷な環境下の中で
救助等にあたってくれた自衛隊員の方に
心からの敬意を抱いております。
その後はずっ~と移動です。
宿泊所についてのは、夜6時。
自衛隊には1時間半くらい滞在したので
8時間30分くらいはバスで移動していたことになるんでしょうか(^_^;)
移動中や夜は、お互いの自己紹介や
意見交換等をしながら、交流もしました。
今回の参加者の中には
地震発生後、
「何度も各地の災害ボランティアに行ったことがある」
という人もいました。(市外の方です。)
ただ、その時は
車中泊⇒現地ボランティア⇒車中泊
という強硬スケジュールだったために
互いの自己紹介も交流もないままだったという話を聞きました。
翌日以降、改めて痛感するのですが
こうした移動や交流の時間の中で
チームワークが出来ていったので、
こうした時間も貴重な時間だったと思います。
さて。
実際の作業については、
明日以降のブログでお話しします。
今日は大船渡市の写真を
何枚か掲載いたします。
実際に目にすると
報道の写真で見るのとは違う、
大きな衝撃を受けました。
2011.07.21
こんばんは。
明日、22日(金)~24日(日)までの3日間、
和光市社会福祉協議会の災害ボランティアバスで
岩手県大船渡市へ
災害ボランティアへ行ってまいります。
準備はほぼ終えましたが、
やはりそれなりの荷物の大きさになりました。
現地に行くまで行うボランティアの詳細は
確定していませんが、現地で出来ることを
精一杯やってこようと思います。
ブログの更新は出来ないと思いますが
(ツイッターくらいなら出来るかも。 http://twitter.com/#!/inouewataru/)
また、戻ったら、じっくり ご報告したいと思います。
それでは、行ってまいります。
明日、22日(金)~24日(日)までの3日間、
和光市社会福祉協議会の災害ボランティアバスで
岩手県大船渡市へ
災害ボランティアへ行ってまいります。
準備はほぼ終えましたが、
やはりそれなりの荷物の大きさになりました。
現地に行くまで行うボランティアの詳細は
確定していませんが、現地で出来ることを
精一杯やってこようと思います。
ブログの更新は出来ないと思いますが
(ツイッターくらいなら出来るかも。 http://twitter.com/#!/inouewataru/)
また、戻ったら、じっくり ご報告したいと思います。
それでは、行ってまいります。
2011.07.19
こんにちは。
6月議会の報告が
なかなか手を付けられずすみません・・・。
そんな中でも、次へと新しい学びの場にいくので
時間はなくなる一方、報告したいことが増えています(^_^;)
さて。
<17日・日>に行ってきたのは
がん政策サミット2011 です。
日本医療政策機構(http://www.hgpi.org/)が開催していて
数年前から参加したかったのですが、
今回、ようやく参加が叶いました。
(会場での事例発表の様子)
全国のがん患者の団体や行政、議会関係者が集い
がん対策のために行っている様々な取り組みや
最新情報を共有することが出来ます。
この「がんサミット」を知ったのは
数年前の「市民と議会の条例づくり交流会議」
http://jourei.jp/
で、全国の「がん対策基本条例」の事例発表を
聞いてからです。
先日のがんセンターの視察ブログ
・http://inouewataru.blog.shinobi.jp/Entry/916/ (起工式)
・http://inouewataru.blog.shinobi.jp/Entry/921/ (現病院 視察)
にも書いたように
私は、がん対策をもっともっと進めていきたい、と考えています。
市議会の一般質問でも取り上げたことがありますし、
和光市としての “がん対策基本条例” に向けて
当時の市議会議員の方々と意見交換したこともあります。
改選や震災で実現には至りませんでしたが、
市議会でも同じ方向を向いた瞬間が確かにありました。
ただ、その時も、自分でも わかっていたことですが
市単独の条例化よりも、より広域の・・・つまり「県」での制定こそが
必要であり、有効だと思っていました。
配るホームページ30号の
マンガ 「和光政治物語」
(http://inouewataru.com/manga02.html)の中でも
描いたように、埼玉のがん対策は他県に比べて、
まだまだ取組む余地が沢山あります。
この条例化のためは、市議会の時のように
党派を超えた問題意識に繋がることが大事だと思っています。
幸いにして、がんセンター新病院の建設という
新しい節目を迎えています。
それに合わせて、埼玉県として
更なるがん対策の推進のために、「がん対策基本条例」の制定に向けて
思いを同一にできればと願っています。
6月議会の報告が
なかなか手を付けられずすみません・・・。
そんな中でも、次へと新しい学びの場にいくので
時間はなくなる一方、報告したいことが増えています(^_^;)
さて。
<17日・日>に行ってきたのは
がん政策サミット2011 です。
日本医療政策機構(http://www.hgpi.org/)が開催していて
数年前から参加したかったのですが、
今回、ようやく参加が叶いました。
(会場での事例発表の様子)
全国のがん患者の団体や行政、議会関係者が集い
がん対策のために行っている様々な取り組みや
最新情報を共有することが出来ます。
この「がんサミット」を知ったのは
数年前の「市民と議会の条例づくり交流会議」
http://jourei.jp/
で、全国の「がん対策基本条例」の事例発表を
聞いてからです。
先日のがんセンターの視察ブログ
・http://inouewataru.blog.shinobi.jp/Entry/916/ (起工式)
・http://inouewataru.blog.shinobi.jp/Entry/921/ (現病院 視察)
にも書いたように
私は、がん対策をもっともっと進めていきたい、と考えています。
市議会の一般質問でも取り上げたことがありますし、
和光市としての “がん対策基本条例” に向けて
当時の市議会議員の方々と意見交換したこともあります。
改選や震災で実現には至りませんでしたが、
市議会でも同じ方向を向いた瞬間が確かにありました。
ただ、その時も、自分でも わかっていたことですが
市単独の条例化よりも、より広域の・・・つまり「県」での制定こそが
必要であり、有効だと思っていました。
配るホームページ30号の
マンガ 「和光政治物語」
(http://inouewataru.com/manga02.html)の中でも
描いたように、埼玉のがん対策は他県に比べて、
まだまだ取組む余地が沢山あります。
この条例化のためは、市議会の時のように
党派を超えた問題意識に繋がることが大事だと思っています。
幸いにして、がんセンター新病院の建設という
新しい節目を迎えています。
それに合わせて、埼玉県として
更なるがん対策の推進のために、「がん対策基本条例」の制定に向けて
思いを同一にできればと願っています。
2011.07.15
こんにちは。
今日は、おととい参加した
研修会の報告です。
これもまた大変興味深い内容でした。
【研修会報告
:関西広域連合による被災地支援】
場所は、御茶の水にある明治大学です。
日本自治体危機管理学会が行った研修に
菅原議員の協力をいただき、参加させてもらいました。
4月の東京都知事選の際に
「関西に存在する【関西広域連合】を関東でも!」
みたいな感じで述べてた候補者もいたので
耳にされた方もいるかもしれません。
私も詳しく話を聞くのは初めてです。
かつて関西に住んでいましたが
当時はこんな話はありませんでした。
それも そのはず。
設立は平成22年の12月です。
構成は「2府5県」
大阪、京都、兵庫、滋賀、和歌山、鳥取、徳島で
構成されています。
「鳥取!?って関西か? ってか徳島って四国じゃないの!?」
って思った方、多いのではないでしょうか?
私もそう思いました(笑)
ただ、今日は、この「関西広域連合とは何ぞや?」を
多く語るつもりはなくて、それについては
このHPに託そうと思っています。
http://kouiki-kansai.jp/
講演のテーマは、
この広域連合で今回の東日本大震災において
どう支援を行ったか?です
私が印象に残った話は次の4つです。
<1>
支援する県を決める「カウンターパート方式」を採用
今回、関西広域連合では
支援する県を決めて対応を行ったとのこと。
宮城 ← 兵庫、徳島、鳥取
福島 ← 滋賀、京都
岩手 ← 大阪、和歌山
しかも、単独の県と県との1対1でなく
ダブルキャストで支援してたのがよかったとのことでした。
<2>
それぞれ県に「得意分野」がある。
例えば、兵庫県は阪神大震災の経験から
県として独自に
「家屋被害認定士」の育成を進めてきていたそうです。
これが被災地の被害実態の調査に
役になったそうです。
また、鳥取県は内部被ばく量を調査できる
移動式測定者や技師を有していたため、
これも現地で活躍しているそうです。
<3>
市の事務と県の事務は違う。
私も県議会議員になって思いますが
市と県の役割は違います。
それは行う事務も異なる、ということです。
だから、同じ公務員、同じ役所務めであっても
被災した市役所に県庁の職員を派遣しても
実は役に立たないことが多かった・・・という話でした。
これは、言われてみれば当たり前ですが
目からウロコの話でした。
<4>
真っ先に派遣するなら、局長級。
これも、目からウロコの話でした。
局長クラス・・・っていえば
結構年齢も上です。
私は、それよりも若い体力のある職員のほうが
向いているのでは・・・と思っていました。
ただ、局長クラスが行くことには
大きな意味がある、ということでした。
1つは、被災地の役所にて
副市長とか責任のある立場の人と話ができる、ということです。
(若い職員だと、そうはいかない。。。)
2つめには
現地の様子を地元の役所に報告した時も
局長の報告に従い、部下たちが「わかりました!」とすぐ動く、
ということです。
(若い職員だと、そうはいかない。。。)
そして、3つめは
局長クラスは、16年前の阪神大震災を
係長級くらいの時に経験している、
ということです。
(若い職員だと、職員にもなってない。。。)
以上、私の記憶に残ったことを
まとめさせていただきました。
今は、私たち被害の少なかった地域が
被災地を支えることに 全力を尽くすべき、と考えます。
でも、今回の講演を聞くと、
いつか今回の被災の経験から多くの被災時対応を備えた
宮城、福島、岩手に、そのノウハウをもとに助けてもらう時が
来るような気がしてなりません。
そして、被災経験を社会として引き継いでいくことはもちろんですが
行政として引き継いでいくことの大切さも
痛感させられました。
最後に。
とても良い研修に参加できたこと、
声を掛けてもらった菅原議員にも感謝です。
県のこと、行政のこと、
もっともっと詳しくなりに行きましょう!
今日は、おととい参加した
研修会の報告です。
これもまた大変興味深い内容でした。
【研修会報告
:関西広域連合による被災地支援】
場所は、御茶の水にある明治大学です。
日本自治体危機管理学会が行った研修に
菅原議員の協力をいただき、参加させてもらいました。
4月の東京都知事選の際に
「関西に存在する【関西広域連合】を関東でも!」
みたいな感じで述べてた候補者もいたので
耳にされた方もいるかもしれません。
私も詳しく話を聞くのは初めてです。
かつて関西に住んでいましたが
当時はこんな話はありませんでした。
それも そのはず。
設立は平成22年の12月です。
構成は「2府5県」
大阪、京都、兵庫、滋賀、和歌山、鳥取、徳島で
構成されています。
「鳥取!?って関西か? ってか徳島って四国じゃないの!?」
って思った方、多いのではないでしょうか?
私もそう思いました(笑)
ただ、今日は、この「関西広域連合とは何ぞや?」を
多く語るつもりはなくて、それについては
このHPに託そうと思っています。
http://kouiki-kansai.jp/
講演のテーマは、
この広域連合で今回の東日本大震災において
どう支援を行ったか?です
私が印象に残った話は次の4つです。
<1>
支援する県を決める「カウンターパート方式」を採用
今回、関西広域連合では
支援する県を決めて対応を行ったとのこと。
宮城 ← 兵庫、徳島、鳥取
福島 ← 滋賀、京都
岩手 ← 大阪、和歌山
しかも、単独の県と県との1対1でなく
ダブルキャストで支援してたのがよかったとのことでした。
<2>
それぞれ県に「得意分野」がある。
例えば、兵庫県は阪神大震災の経験から
県として独自に
「家屋被害認定士」の育成を進めてきていたそうです。
これが被災地の被害実態の調査に
役になったそうです。
また、鳥取県は内部被ばく量を調査できる
移動式測定者や技師を有していたため、
これも現地で活躍しているそうです。
<3>
市の事務と県の事務は違う。
私も県議会議員になって思いますが
市と県の役割は違います。
それは行う事務も異なる、ということです。
だから、同じ公務員、同じ役所務めであっても
被災した市役所に県庁の職員を派遣しても
実は役に立たないことが多かった・・・という話でした。
これは、言われてみれば当たり前ですが
目からウロコの話でした。
<4>
真っ先に派遣するなら、局長級。
これも、目からウロコの話でした。
局長クラス・・・っていえば
結構年齢も上です。
私は、それよりも若い体力のある職員のほうが
向いているのでは・・・と思っていました。
ただ、局長クラスが行くことには
大きな意味がある、ということでした。
1つは、被災地の役所にて
副市長とか責任のある立場の人と話ができる、ということです。
(若い職員だと、そうはいかない。。。)
2つめには
現地の様子を地元の役所に報告した時も
局長の報告に従い、部下たちが「わかりました!」とすぐ動く、
ということです。
(若い職員だと、そうはいかない。。。)
そして、3つめは
局長クラスは、16年前の阪神大震災を
係長級くらいの時に経験している、
ということです。
(若い職員だと、職員にもなってない。。。)
以上、私の記憶に残ったことを
まとめさせていただきました。
今は、私たち被害の少なかった地域が
被災地を支えることに 全力を尽くすべき、と考えます。
でも、今回の講演を聞くと、
いつか今回の被災の経験から多くの被災時対応を備えた
宮城、福島、岩手に、そのノウハウをもとに助けてもらう時が
来るような気がしてなりません。
そして、被災経験を社会として引き継いでいくことはもちろんですが
行政として引き継いでいくことの大切さも
痛感させられました。
最後に。
とても良い研修に参加できたこと、
声を掛けてもらった菅原議員にも感謝です。
県のこと、行政のこと、
もっともっと詳しくなりに行きましょう!
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